泉旺同窓会 東京学芸大学教育学部附属大泉中学校
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2005年5月掲載
附中思い出日記:関口商店のこと
 16期前後の附中生徒で正門前にあった文房具店「関口商店」のお世話にならなかった者はいないでしょう。文房具をスーパーではなく文房具店で買うことが当たり前だったあの頃、学校の近くには必ずといっていいほど文房具店がありましたが、その中でも関口商店は大きな店構えだったように思います。 
 今でも関口商店のことを思い出すのは、文房具だけでなく昼食を関口商店で買っていたからです。いまでは国公立、私立を問わずほぼ全てが学校給食でしょうが、当時の附中はお弁当持参か菓子パンなどを購入していたのです。 
 朝、登校途中に店に寄り(つまりその時間からもう営業していたのです)、お昼に食べたいパンや牛乳の種類を年、組、名前とともに店番のおばあさんに言うと、パンを入れる紙袋にマジックでそれを書き、代金は前払いとなります。 そうするとお昼前には各クラスの前に注文通りの品が例の紙袋に入れられて届けられます。 便利で確実、現在でも立派に通用するスマートなデリバリーサービスです。パンはクロワッサンやデニッシュなど洒落たパンでは決してなく、コロッケパン、カレーパン、ポテトサラダの挟まったパンなど。 そして牛乳はあの懐かしいテトラパック。ビンに入った牛乳は復活を遂げていますがテトラパックは完全に過去のものとなってしまったようです。
 ほとんど毎日、関口商店のパンが昼食だった生徒もいたはずで、朝の関口商店は始業時刻を気にする生徒で大賑わいでした。 てんでに注文を投げつける生徒達を、ちょっと怖そうで愛想があるとは決していえないおばあさんが時に叱りつけながらも、てきぱきとさばいていました。
 もちろん本業?の文房具販売でもお世話になり、生徒会役員であった私は生徒会で使う文具類をいったん個人払いで購入し、領収証をもらって生徒会会計に届けて支払いを受ける、という、40年後の現在でも勤務先でやっているビジネスのプロセスを中学時代に経験しました。
 あのおばあさんはもうお亡くなりになっているでしょうし、関口商店もないように思います。中学生活を側面から支えてくれた街の文房具屋さん、スーパーマーケットに押されて閉店したのではなく、何か別のビジネスモデルに転進して今でも大泉のどこかで立派に商売を続けていると信じたいです。
16期 北村 通朗
2004年12月掲載
附中男女制服考
 男子の夏の制服には、ポリエステル綿混紡とコットン100%の二種の素材があった。私は、最初コットン100%の夏服を着用していたが、なにせシワになり易い。ズボンのプレスはすぐに消えてシワシワになってしまう。これが何と言っても、お洒落心に目覚めた男子中学生には厭でたまらない。その割には休み時間のプロレスごっこ、ロッカー最上段からのニードロップで、制服はいつも汚れていた。その後、最初に買った制服がすぐに小さくなり、買い換えた制服はポリ混であった。今だったらコットン地の制服の方が、旧制中学生のようなレトロ感があり、白い布をかぶせた制帽とのバランスも良く、爽快な夏らしさが出る上に、あのシワシワ感がお洒落だと思うのだが・・・。
生徒手帳では、当時の女子の制服として、冬は黒のナイロン・ストッキング、夏は白のソックスの着用が決まっていた。恐竜のように既に絶滅している、後ろに縫い目のあるナイロン・ストッキングは、縫い目がまっすぐ見えるようにして履かないとだらしなく見えるので、結構履くのが大変だったそうである。男子生徒にはわからない悩み。一方、足首にちょっと自信のある女子生徒は、冬でも美しい足首を見せるために、規則に違反して白いソックスを、敢えてくるぶしが出るくらいに短く折り曲げて履いていたと言います。その後、我々がおじさん・おばさんになってから流行してくる、ルーズソックスに比べれば、確かに短いソックスの方が活動的・健康的で、若さが強調出来ていいよね。今の年齢になると、白のソックスはちょっと履き辛いかも知れないが・・・。当時、折り曲げて白いソックスを履いていた人は誰?手を挙げて。
1955(昭和30)年の記念写真。中央に夏の制服を着た生徒がいる。コットン地かポリ混 かまではわからないが。白いカバーをかけた制帽もなつかしい。この制服制帽は昭 和51年に廃止されたと聞く。
【写真提供・文/堀江礼一(8期)】
16期 中村 裕一
(芋の子大泉の想い出‘’ MY POTATO MEMORY‘’から「附中男女制服考」一部抜粋)
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2003年9月掲載
昭和24年の遠足は大珍事!
附中1年生、秋の遠足は、船で千葉の鋸山へのはずだった。昭和24年10月30日、月島桟橋を出航した私たちは晴天に恵まれ、素敵な船旅を喜んでいたことだろう。
 東京湾を出た頃から船は揺れだし、やがて歩く事は勿論、立っている事さえできないほどの揺れ(震度7くらいかな?)になり、それはそれは大変な騒ぎになった。男子も女子みんな真っ青な顔、中には口をおさえている人もいる。先生も酔っていられたに違いない。
 どの位の時間、揺れていたのかわからないが、とてもながい時間に感じた。多分そんなに長くはなかったのだろうが……。
 やっと波がおさまり 着いたところは何と、神奈川県、三浦半島の久里浜・浦賀港ではないか! 150tの船は大きな突風で南に流されてしまったのだ。  陸に上がった私たちは、船酔いなどケロリと忘れ、ペルリ総督上陸の話を聴いたり浦賀ドックの進水式に参加させてもらったり、と思わぬ出来事に喜んだものだった。
 帰りの船は波おだやか、夕映えから暗くなる空、東京湾の夜空いっぱいに輝く星にロマンチックな気分にひたったのを憶えている。  
 当時はとんだ珍事も新聞記事にもならず、しかし先生方は大変な思いをされた事と思うこの頃だ。                            
3期 山田 清子
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2003年3月掲載
大泉今昔物語
昭和42年ごろの校庭風景(写真左)。西側に校舎があった。今はヒマラヤ杉だけが残っている。練馬区の銘木に指定されている。

同じころの校庭。西側から東を見たもの。右は現在。校庭から校舎を見る。


昭和29年の制服。男子の制帽は昭和51年に廃止された。
 
旧校舎空撮。昭和30年ごろ。下のF字形の校舎が昭和43年まで使われた。左上は小学校校舎。右上は学生寮。


昭和43年まで使われた体育館。
昭和48年まで使われた講堂(昭和35年の入学式)


F字形の校舎には中庭があった(昭和40年ごろ)
昭和29年入学(第8期卒業生)の担任。
左から鬼頭正(主任)、
中西晃、柳沢(津田)幸子先生。
右は室田昂教頭。(昭和30年撮影)


昭和50年ごろの現校舎。写真左が西になる。
正門脇に置かれた校名碑。創立50周年を記念して泉旺同窓会から学校に寄贈した。


2002年11月 通学路の景色も大きく変わった。
2002年11月 大泉学園駅は大改装中。
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