泉旺同窓会 東京学芸大学教育学部附属大泉中学校
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2007年9月掲載
スポーツフェスティバル
6月14日木曜日、所沢市民体育館メインアリーナで、東京学芸大学附属国際中等教育学校、附属大泉中学校、附属高等学校大泉校舎合同のスポーツフェスティバルが行われました。
体育館なので雨の心配もありませんでした。国際の生徒は紺のハーフパンツ、大泉の生徒はブルーのハーフパンツ、高校生は赤、緑などカラフルなスポーツウェアでした。そのあたりからもフェスティバルというのびのびした感じが伝わってきました。今年も午前中だけの見学でしたが、どの競技もみていて躍動感があり楽しいものでした。同じ競技でも一学年違うだけで力強さが違い、1年間の成長がわかります。綱引きでは見ているほうも「オーエス、オーエス」と力が入りました。激流!泉の渡し(中1~3男子全員)泉の渡し(中1~3女子全員)では背中の上を渡っていく船頭役にハラハラ。PTAの方々も「力を合わせ」に参加されていました。生徒たちが競技の前に輪になって気合を入れている姿にフェスティバルへの意気込みを感じました。これから泉の渡し、大繩とび、リレー、騎馬戦など受け継がれてきた競技がどのように残り、また新しい競技がうまれてくるのか見ていきたい気持ちもします。その変化が大泉の変化の一端であると思います。
(お詫び)フェスティバルの様子をデジカメで撮ってきたのですが、保存が悪く削除されてしまいました。写真での報告が出来ず申しわけありません。
22期 白根祐子
2006年9月掲載
運動会を見て
運動会写真1
写真をクリックすると拡大します
運動会写真2先日掲示板に書いたように、5月29日中学の運動会を見にいきました。
雨のため順延され、グラウンドのコンディションが悪い中、みんなよく走っていました。リレーなどで接戦になると、思わず身を乗り出してみてしまいました。保護者の方の競技も事前準備がなくてもその場ですぐ参加できるとういうのがよかったです。見ていて参加したくなりました。オクラホマミキサーを見ることが出来ず残念でした。




運動会写真3さて、私たち22期は木造校舎最後の1年生でした。2学期からは新校舎に移りました。校舎が二つ建っていたわけですから校庭も狭く運動会ができなかったと思います。友人にきいたところ、彼も運動会の思い出はないと言っていました。2年か3年の時大学のグラウンドを借りて運動会をするということになり、練習をしました。予行練習までしたのに、当日雨で中止になり、幻の運動会となったと覚えています。同じ思い出を持っている方がいると思いますが、わたしの覚え違いでしょうか。



運動会写真4 もし覚えている方がいたら掲示板で教えていただけるとうれしいです。附属大泉中学校として1,2,3年生が揃った運動会は今年で最後です。来年はどのような形で運動会の思い出が作られていくのでしょうか。
22期 白根祐子
2006年3月掲載
都民農園
バス通学していた生徒は主に「吉祥寺駅発都民農園・セコニック行き」西武バス利用でした。
中学生のときから「“都民農園”って何?」と不思議に思っていましたが特に尋ねたり調べたりするでもなく歳月が流れ、あらためて調べてみると、これは太平洋戦争前に当時の東京市の計画による、市民が手軽に野菜などを耕作できるまさに“市民農園”のはしりであったようです。 都市近郊農家が畑地の一部を開放する、というような小規模なものではなく、自治体主導による手軽で健康的なレジャースポットとして開発されたわけですが、実際には“農園”の趣きはあまりなく、当初の目論見からはずれて緑豊かな森林公園として地元の人々に親しまれてきたようです。
あるとき、社会科の授業で鳥谷先生が、きょうはちょっと外を歩きましょう、とおっしゃって生徒を連れ出し、キャベツ畑の中を散歩気分で都民農園まで往復したことがあります。
たしか季節は陽春でしたから、第2校歌の「秩父の山並み遠く霞みて、連なる広野に麦の穂光る」そのままの雰囲気でした。
とくに歴史的な遺跡や社会的に著名な施設などがあるわけでもありませんから、社会見学といってもテーマははっきりしませんでしたが、何よりも先生が校外に連れ出してくれたこと、何人かずつグループになっておしゃべりをしながら一緒に歩くことが楽しく、型にはまった教室での授業ではなく、中学にはこんな素敵な授業もあるのか!と感じ入りました。
ちなみに「セコニック」はご存知の方も多いでしょうが、光学機器のトップメーカーのひとつであり、その社名がそのまま停留所名となっていたものです。
あれから40年、都民農園という地名も公園も、もちろんセコニック社も存続しており、バス路線も当時と同じルートで運行されています。
キャベツ畑が多かったバス路線沿線はすっかり住宅地に変わりましたが、大泉学園駅前から都民農園方面へ至る並木の欅はますます成長して立派になりました。
郊外の落ち着いた並木道として、華やかな原宿、表参道の欅並木とはまた違った趣きがあり、散歩の途中でひとやすみ出来るようなカフェもあります。
中学の校舎はすっかり変わりましたが、これからの季節の一日、何十年も変わることなく豊かな緑で癒してくれる欅並木や都民農園に、皆さんもお出かけになってはいかがですか。
16期 北村通朗
2005年9月掲載
惜別 大城重美子先生「勉強の出来る子イコール頭の良い子、ではない」 
大城先生
1988年ごろの大城先生
 去る7月16日「おばあちゃん」の愛称で慕われ、尊敬されておられました大城重美子先生が老衰のため96歳の生涯を閉じられました。悲しみとともに残念な気持ちでいっぱいです。卒業後いろいろな面での教えを受けた人は、僕ひとりではなかったと思います。

 僕には、今でも強く印象に残っている教えがあります。もう40年も前の話ですが、クラス会で、長女の誕生を報告した時に、「おめでとう。お寺ね、勉強の出来る子より、頭の良い子に育てなさい。」と言われたことです。「勉強は、すれば出来る子になるけれど頭の良い子に育てるのは大変ですよ。」と聞かされてそれから暫く考え、どうすれば良いかをことある度に思い出していました。

 そんなある時,ひとつの事故がテレビで報道されました。某国立大学の生徒たちが、湖畔でキャンプをしていて夜中に酔ってボートに大勢で乗って漕ぎ出し、沖合いで転覆して多くの学生が亡くなったのです。その時に、子供をなくした父親が「うちの子がこんなに馬鹿だとは思わなかった。」とひとこと言って涙を流している姿を見た時、勉強の出来る子と頭の良い子はイコールではないと実感しました。

 その後、結婚式などでスピーチを頼まれるとこの言葉を引用させていただき、イコールだと思っている若い人たちに聞かせております。

 謹んで、皆様とともに大城重美子先生のご冥福をお祈りしたいと思います。
6期  寺井 誠
2005年9月掲載
惜別 川田清八先生
川田先生
2003年11月、6期同期会のときの川田先生
 去る8月18日川田清八先生が、肺癌のためご逝去されました。
 川田先生は、体育の先生で6期以上の卒業生でないとご存じないと思いますが、当時は川田先生、相沢先生、山下先生、この3人の先生が若くて、格好が良くて女生徒の人気を三等分していたといっても過言ではなかったと思います。
 僕は、先生から運動神経が鈍い鈍いとよく言われていました。なにしろ走るのが苦手で100Mを22~3秒ぐらいかかっていました。川田先生は、走ることは、すべての運動の基本だから足の遅いやつはどんな運動をしても上手くならない、と言われて、走り方を教えてくださった思い出があります。
 走るのは、「足で走るのではなく、手で走るのだ。」と、手を振る練習を宿題にされたことがありました。あの秋の運動会で、いつもびりを走っていた僕が真ん中へんで走れたことを、いま鮮明に思い出しています。その時、「ほら見ろ。」と言われたあの優しい笑顔が今でも忘れられません。
 川田先生のご冥福を、謹んでお祈り申し上げます。
    
6期  寺井 誠
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